話題-百鬼夜行

西条祭りとだんじりの歴史!豆知識で西条祭りが120%楽しく

西条祭りの歴史を知っておけば、
お祭りに行ったときに一層楽しめるはず。

 

だんじりやの、
歴史などを今回はまとめたよ。

 

西条祭りをもっと楽しめる情報さ☆-( ^-゚)v

西条祭りとは?

西条祭りは、
伊曽乃神社(いそのじんじゃ)の祭礼。

 

その伊曽乃神社は、
愛媛県西条市中野にあるよ。

 

西条祭りは、
毎年10月に開催されている。

 

ちなみに開催場所は、
愛媛県西条市

 

西条祭りの特徴は?

他のお祭りだとひいているだんじりを、
西条祭りでは担ぎあげている。

 

500kg~重いものだと800kgものだんじりを、
10~15人が担ぎあげる。

 

このとき、
舁き棒(かきぼう)というもので担ぐけど、
だんじりを担ぐ人を舁き夫(かきふ)と呼ぶ。

 

西条祭りの見せ場

西条祭りの見せ場は2つある。

 

見せ場の一つは宮出し

 

100個以上もの提灯は、
全てロウソクの灯りだから、
幻想的な雰囲気がある。

 

ちなみに火は子どもが灯けて、
担ぐのは大人の仕事。

 

もう1つの見せ場は川入り

川入りでは加茂川に集まった、
みこしやだんじりが練り合いをする。

 

だんじりの透かし彫りにも注目

だんじりの透かし彫りは、
時代絵巻となっている。

 

この見事な透かし彫りも、
注目したい点。

 

西条祭りに喧嘩はあるのか?

お祭りの喧嘩と言えば、
山車なんかのぶつけ合い。

 

西条祭りでは、
ぶつけ合いは行われない。

 

でも、西条祭りには、
ぶつけ合いがあると、
聞いたことのある人もいるかも。

 

これは、
愛媛県の新居浜太鼓祭りが、
理由かもしれない。

 

新居浜太鼓祭りは、
日本三大喧嘩祭りの1つで、
毎年機動隊が投入されるほど荒々しい。

 

当然、ぶつけ合いもある。

 

同じ愛媛のお祭りということもあって、
西条祭りと新居浜太鼓祭りが、
混同されている場合も多いんだ。

西条祭りとの歴史

西条祭りの歴史は、
文献による始まりの確認はできていない。

 

でも江戸時代から続いており、
260年以上も続いているとされている。

 

西条祭りのだんじり、その歴史

江戸中期に入ると、
西条にだんじりが登場したと、
1700年の古文書にある。

 

1711年、1713年、1716年、1717年

 

これらの年、一宮神社文書等に、
だんじりの記録が残っている。

 

1691年ごろに、
別子銅山開抗から上方が、
盛んに交流するようになった。

 

この盛んになった交流が原因で、
だんじりが伝播したとも考えられている。

 

西条祭りの豆知識

ここでは、
西条祭りの豆知識を、
色々とまとめておくよ。

 

西条祭りの歌

西条祭りでは、
太鼓などの音に合わせた、
色々なががある。

 

歌の目的は、
屋台やだんじりの運行に、
疲れさせないためとか……

 

あと酒気を発散させるためとか、
色々といわれている。

 

この歌の中でも特に有名なのが、
伊勢音頭という歌だよ。

 

伊曽乃神社とは?

西条の発展を祈り、
土地の五穀豊穣を祈ったのが、
始まりとされている。

 

伊曽乃神社の神様は?

伊曽乃神社の神様は、
天照大神武国凝別命

 

天照大神:読み方:あまてらすおおみかみ
武国凝別命:たけくにこりわけのみこと

 

伊曽乃神社の伝説

伊曽乃神社の一の鳥居。
その脇を見ると、
石鎚の神の投げ石という石がある。

 

これは伊曽乃神社の伝説に、
大きく関わっているんだ。

 

石鎚山の男神
伊曽乃の女神

 

この2人が、
加茂川の畔で出会った。

 

この2人は恋中となり、
あるとき女神が結婚を迫る。

 

しかし男神は、
石鎚山での修行があり、
結婚はできない。

 

しかも石鎚山は女人禁制の地であり、
女神は同行もできなかった。

 

だから結婚は、
修業が終わるまで待って欲しいと告げた。

 

修業が終わったら、
山頂から大石を3つ投げる。

 

3つの石のうち、
真ん中に落ちた石の場所に、
館を建てて待つように伝えた。

 

それから月日が経ち、
石鎚山から三つの石が投げられた。

 

そして真ん中に落ちた石の場所に、
営まれたのが伊曽乃神社とされている。

 

まとめ

今回は、
西条祭りの歴史をまとめた。

 

主に西条祭りの、
だんじりについての歴史についてだね。

 

西条祭りは、
だんじりを担ぐという珍しいスタイル。

 

そんな点も含めて、
西条祭りに行ったら、色々と見て楽しもう☆-( ^-゚)v

モバイルバージョンを終了