話題-百鬼夜行

門松の由来!徳川家康と武田信玄の物騒な竹のエピソード

門松の由来を語るのなら、
徳川家康の存在を忘れるわけにはいかない。

 

今回のリサーチでは、
門松の由来についてまとめたよ。

 

お正月のアイテム門松の気になる歴史さ☆-( ^-゚)v

門松について

日本の正月には、
家の前に門松を立てる所も多い。

 

そんな左右で一対の門松は、
お正月らしい飾りもの。

 

最近だと簡易的な門松が飾られることが多く、
最近の子供が思い浮かべる角松は、
昔の門松とは違うかも。

 

門松の形について

簡易的な門松ではなく、
一般的な門松の由来。

 

門松は、
家の入口に左右一対の形で設置する。

 

竹、松の枝、梅の枝を、
荒縄で固定している。

 

なぜ竹、松、梅を、
門松に使っているのか?

 

竹、松、梅を使うようになったのは、
室町時代から。

 

なぜ竹、松、梅を使うのかというと、
松は千歳を契り、竹は万余を契る。

 

このような言い伝えが元になっている。

 

この言い伝えから、
依り代が永遠に続くように
という思いが込められているとされる。

 

門松の竹について

門松の竹は、
節の部分を削ぎ落としているけど、
この由来はなんだろう?

 

これは竹の切り口が、
笑った口のように見える。

 

だから笑う門には福来たるという、
縁起を担いでいるというのが一般的な説。

 

門松という名前、なのに竹がメインに目立つのは何故?

門松という名前には、
という文字が入っている。

 

決してという文字が、
入っているわけではないから、
松が主役で竹が脇役であるハズ

 

それなのに実物の門松を見ると、
目立つのは竹。

 

『えっ、なんで主役のハズの松よりも、
脇役の竹が目立っているの?』

と、お思いの方もいるかもしれない。

 

その理由を述べると、
門松は元々、松の木の枝を飾っていたから。

と、いうものになる。

 

なぜ松の木を飾っていたかというと、
松という名前には祀るという意味があった。

 

このため松には神様が宿るとされてきたんだ。

 

 

そして、
鎌倉時代に入るまでは、
竹は使われてこなかったから、
松が主役だったと言えるよ。

門松の由来

門松は、
正月の飾り物として知られている。

 

そんな門松の歴史を辿ると、
昔は齢神様(としがみさま)の、
依り代として扱われていた。

 

だから家に齢神様を迎え入れるのが、
門松の役目だったんだ。

昔から神様は木の枝先に宿るとされており、
松の木の枝先が神様の依り代とされるようになった。

 

門松の由来に見える家康の影

門松に使われる

 

この竹なんだけど、
先ほど、竹の切り口が笑っているようだと、
書いたよね。

 

じつは、
この切り口については別の由来があって、
その由来に徳川家康が関わっている。

 

門松に使われる竹の切り口には、
水兵に切った”寸胴”と、
斜めに切った”そぎ”。

 

家康と関係のある切り口は、
そぎの方の由来

 

このそぎには、
徳川家康だけでなく、
武田信玄も関わっているんだ。

 

徳川家康と武田信玄が関わった門松の削ぎ

三方ヶ原の戦いは、
徳川家康が唯一負けた戦として有名。

 

この三方ヶ原の戦いのあとに、
新年に武田信玄からの文が届いた。

 

武田信玄の文には、
「松枯れて竹たぐひなきあしたかな」と、
書かれていたんだ。

 

この意味は、
松=松平=家康。
竹=武田。

 

よって松(家康)が滅んで、竹(武田)は安泰

という意味がある。

 

これに対して怒った家康は、
文を書いて送る。

 

家康が武田信玄に送ったのは、
松枯れで武田首無きあしたかなと書かれた文。

 

この意味は何かというと、
松は枯れず、武田の首が飛ぶ

 

この文を送っても怒りは収まらなかった家康は、
門松の竹を信玄に見立てて削いだ

 

次はお前の首を切るぞという意味を込めて……。

 

このことをキッカケにして飾られる門松に、
これまで寸胴タイプだけの門松に、
そぎのタイプが加わるようになった。

 

まとめ

門松には水平に切った寸胴と、
斜めに切ったそぎとがある。

 

このどちらであっても、
門松の縁起が悪くなるということはない。

 

だから門松を飾る人の好みや、
門松を作る職人さんの好みで、
寸胴かそぎかを決めることが多い。

 

元々はお前の首を落すぞという、
物騒な想いから始まった”そぎ”の門松。

 

でも、首を落すのは未遂で終わったのだから、
そういう由来は無視して好みの門松を選ぶのがいいんじゃないかな☆-( ^-゚)v

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