敬老の日は日本にしか存在しない。
当然、意味や由来にも日本以外は説明に出てこない。
今回のリサーチでは、そんな敬老の日の意味と由来についてお伝えする。
日本限定で存在する敬老の日を勉強してみよう(ノ´▽`)ノ
敬老の日はいつ?
敬老の日は毎年9月の第3月曜日。
具体的な日付けはというと……
- 2019:9月16日
- 2020:9月21日
- 2021:9月20日
- 2022:9月19日
- 2023:9月18日
- 2024:9月16日
- 2025:9月15日
敬老の日の主役は?
WHO(世界保健機関)では、高齢者を65歳以上と定めている。
さらに日本の老人福祉法でも高齢者を65歳以上としている。
ご存じのとおり敬老の日は高齢者のためにある。
だから65歳以上の方を敬老の日の主役だと考えられる。
敬老の日の意味と目的
これまで会のために貢献してきた高齢者の方を、敬い長寿を祝う日という意味が敬老の日にはある。
その考えの裏には、高齢者福祉に対しての関心を高めて、高齢者の生活が向上するように若者を促すという目的がある。
敬老の日の由来は?
敬老の日は、毎年9月の第3月曜日になるまでは毎年9月15日だった。
敬老の日の由来を語るのであれば、とうぜん何故9月15日を敬老の日としたのかという点が重要となってくる。
そんな敬老の日の由来には3つの由来が有名。
敬老の日の由来1 聖徳太子説
聖徳太子は593年大阪に四天王寺を健立。
このとき聖徳太子は、四箇院の制をを実践した。
- 敬田院
○読み方:けいでんいん
○寺院そのもの
→仏法の修行場 - 非田院
○読み方:ひでんいん
○老人ホームと孤児院をあわせたような場所
→放置された子どもや身寄りのお年寄りを収容する - 施薬院
○読み方:せやくいん
○薬局のような場所
→薬草を植えたり調合したり患者に施す - 療病院
○読み方:りょうびょういん
○病院のような場所
→身寄りがない病人を寄宿させて治療する
上記の四箇院の制で、もっとも敬老の日に関係するのが非田院(ひでんいん)。
非田院の非田という単語は、慈悲の心で貧苦病苦の人を助ければ福を生んで田になるというような意味がある。
この非田院は、9月15日に健立されたとされている。
このことから、9月15日を敬老の日にしたという説がある。
敬老の日の由来2 養老の滝説
養老の滝説は、かなり体に悪そうな話となっている。
元正天皇が717年に年号を養老とした。
このとき高齢者に贈り物をしたことから敬老の日の由来とされる説。
なぜ上記の話が敬老の日と結びつくのか?
上記の話だけだと「あれ? 敬老の日と関係ない」って感じるかもしれない。
この話しで肝心なのは、天皇が養老と年号を変えた理由とされる物語。
では、どんな話かというと……。
天皇が養老と年号を変えた理由とされる物語
美濃国に、酒好きの年老いた父親と息子が住んでいた。
木こりを仕事にしている息子は収入がわずかで、父にお酒を満足するまで飲ませられないことを残念に思っていた。
そんなある日、山で薪を撮ろうとして、苔に足を滑らせ息子が谷間に落ちてしまう。
だが谷間に落ちた息子は無事で、周囲を見回しているとお酒の臭いが鼻をくすぐった。
どこに行けば帰れるか分からない息子は、とりあえず酒の臭いがする場所に向かっていった。
しばらく歩き、酒の臭いが濃い場所に出ると、岩から透き通るような水が流れていた。
酒の臭いがするのに酒は見当たらない。
そこで、もしやと思い岩から流れる水を舐めると──「甘い……」
息子が舐めた水は驚くことに酒だった。
「これで、父さんに酒を飲ませてやれる!」
と、喜んだ息子は水を入れるために持ち歩いていた瓢箪(ひょうたん)に酒を満たすと、自宅がある方向に向かっていった。
そして無事に家に帰ると、早速、父に酒を飲ませると──
「これは、上等な酒じゃないか」
──と、大喜びしたという。
その後、酒が流れる岩の下まで行くのが日課となった息子。
こうして毎日、満足するまで父親に酒を飲ませてやれるようになった。
と、いう体に悪そうなのが養老の滝説。
どこが敬老の日と関係あるんだ?
実は話には続きがある。
上記の話しのあと、この話が元生天皇に伝わった。
そして霊亀3年9月の半ばに、その場所を見るために出立する。
お酒の出る場所は養老の滝という場所なんだけど、ここに着いたのが9月20日。
養老の滝までの距離を考えると、9月15日辺りに出発したのでは? と、考えられている。
その年の11月には年号を霊亀から養老へと変更した。
そして後に、この酒を見つけた息子に美濃守という役職を与えた。
敬老の日の由来3
1947年に、兵庫県の多可郡野間谷村で、としよりの日が提唱された。
このとしよりの日が、敬老の日の直接的な由来という説。
敬老の日の変化
敬老の日は、紆余曲折を経て、毎年9月の第3月曜日になった。
その歴史を振り返ってみよう。
- 1947年
○としよりの日が提唱される
→兵庫県の多可郡野間谷村で
→現在の多可町八千代区
→提唱者:村長の門脇政夫氏、助役の山本明氏
○提唱の意図
→「老人を大切にして、おとしよりの力を借りた村作りをしよう」
○野間谷村では敬老会が開かれるようになる
→毎年9月15日に開かれる
○9月は1年の間で気候が良い
→更に15日は農閑期の中ごろにあたるから暇 - 1950年
○兵庫県全体に敬老会が広がる
○県民運動となる
→9月15日をとしよりの日にしよう - 1951年
○上記、兵庫県の県民運動が全国に広がる
○9月15日を中央社会福祉審議会はとしよりの日にした
○9月15日~21日までを運動を推進する期間ともする
○全国で、”としより”という表現への批判が出始める - 1963年
○としよりの日を老人の日へと改称する - 1964年
○9月15日を正式に老人の日と呼ぶようになる - 1965年
○法律で長寿を祝う日として定められる - 2003年
○ハッピーマンデー制度の実施に巻き込まれる
○敬老の日は9月の第3月曜日に移行させられる。
○9月15日~1週間を老人週間とした
敬老会とは?
ご高齢者をお祝いする会。
主に文化センターや多目的センター、体育館で開かれる。
市長や来賓の方から言葉があったり、演芸ショーが開かれる。
敬老の日と言えばチャンチャンコ
敬老の日には、チャンチャンコを着る風習がある。
なぜ、赤いチャンチャンコを着るようになったのだろう?
敬老の日に赤いチャンチャンコを着る理由
長寿のお祝いには、ある習わしがある。
それは数え年で61歳になる還暦を最初にお祝いするというもの。
数え年で61歳ということは満60歳ということ。
だから生まれ年の干支が一巡して、赤ちゃんに戻るという意味があるとされる。
そこで赤いチャンチャンコと、頭巾を贈る風習が生まれた。
まとめ
今回のリサーチでは、敬老の日に関する歴史と由来をまとめた。
敬老の日は、なぜ9月15日だったのかを調べると、聖徳太子、養老に関、としよりの日が出てくる。
由縁としては、としよりの日が一番有力。
でも、色々な考えが混ざり、敬老の日が考えられた可能性もある。
だから、由縁を一つにしぼるというのは難しいかもしれない(´д`lll)
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敬老の日には、プレゼントを贈ることが多い。
このとき、色々なプレゼントが用意されるけどやっぱり定番は花束。
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敬老の日の花束以外のプレゼント
敬老の日のプレゼントとして、花束と共に人気なのが食べ物。
でも、食べ物や花束以外のプレゼントを用意するのなら、どのような物を用意すれば良いのだろう?
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敬老の日に500円のプレゼント
敬老の日には、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に旅行に行ったり外食に行ったりする方も多い。
このとき、形に残る物として手軽に買える金額の物を用意しておくと更に感動が増す。
幼児や赤ちゃんからの敬老の日のプレゼント
敬老の日には、幼児や赤ちゃんからのプレゼントとして物を用意する方もいる。
このような場合、どのようなプレゼントを用意するのが良いのだろう?
→敬老の日にプレゼントするなら手作りで!幼児と赤ちゃんならコレ