聖徳太子の伝説の中でも萌え猫は、
8人の話を同時に聞けたっていうのが馴染み深いかな?
聖徳太子の伝説は色々とあるんだけど、
その中でも特に有名な伝説をリサーチ!
聖徳太子とは?
聖徳太子は実在した厩戸皇子のことだと言われているよ。
(厩戸皇子=うまやどのみこorうまやどのおうじ)
でも聖徳太子像には色々な脚色がされているから、
実在した厩戸皇子とは人物像が違いすぎる。
だから聖徳太=厩戸皇子として歴史の解説書を見ると、
混乱するかもしれないね。
この人物像の違いで混乱しないようにする為に…
- 厩戸皇子=実在の人物
- 聖徳太子=厩戸皇子を脚色した人物像
こんな感じで区別しておこう。
※この記事の聖徳太子という名前も、
厩戸皇子を脚色した人物像と受けとめてね。
次に聖徳太子の功績として有名なのをまとめると…
- 冠位十二階
- 憲法十七条
- 法隆寺
- 遣隋使
こんな聖徳太子なんだけど、
一時期は聖徳太子は実在しない人物とか
当時はマイナーな人物だったとか言う人もいたんだよね。
でも現在は、厩戸皇子や山背大兄王が住んでいたって言われる、
斑鳩宮(いかるがのみや)の存在が確認されたりして
厩戸皇子が実在しない人物という説は根拠が薄いと言われているよ。
そして発見された斑鳩宮(いかるがのみや)は、
一片が約218mの正方形をしているんだよ。
この多い差は立場が弱いマイナーな人物ではありえない大きさ。
だから厩戸皇子がマイナーな人物だという説は影を潜めて、
現在は有力者だったという説が一般的になっているんだ。
聖徳太子の伝説
ここからは聖徳太子に関する、
色々な伝説をまとめていくよ!
聖徳太子は馬小屋の前で生まれた
聖徳太子の母の名前は穴穂部間人皇后。
(穴穂部間人皇后=あなほべのはしひとのひめみこ)
彼女は馬小屋の戸の前で聖徳太子を産んだから、
聖徳太子は厩戸皇子って呼ばれているという伝説があったりする。
聖徳太子が厩戸皇子と呼ばれる理由は…
聖徳太子の出生は574年で、
甲午(きのえうま)だから厩戸皇子と呼ばれたとか
中国の影響だとか色々とあるね。
聖徳太子は1度に8人の話を聞けた
聖徳太子は同時に8人の話を聞けたって、
言われているんだ。
あるとき、聖徳太子が請願(せいがん)を聞くことになった。
そのとき我先にっていう感じで、
請願者8人が一斉に話し始めた。
でも聖徳太子は、
請願者8人の言葉を完全に理解して、
的確に答えたっていう伝説。
この説には聖徳太子は同時に話を聞いたんじゃなくて、
8人の話を順番に聞いていったんじゃない?っていう説もある。
そして全員が話し終わってから、
聖徳太子が一人ひとりに的確なアドバイスをした。
複数人の話なんかの情報を同時に受け入れて、
情報処理する能力を並列思考っていうんだけど…
聖徳太子の場合は並列思考が優れていたんじゃなくて
記憶力が優れていたのでは?って言われているんだ。
聖徳太子には予知能力があった
聖徳太子は預言書、未来紀 未然紀を認めていて、
太平記で楠木正成(くすのき まさしげ)が未来紀を実際に見て
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の復帰とその親政を知ったという伝説。
聖徳太子の飛翔伝説
聖徳太子は598年の4月に、
諸国から数百等に及ぶ馬を献上させて、
その中に神馬を発見。
聖徳太子が神馬に乗ったところ、
神馬が空高くを飛んで富士山を超えて、
信濃国まで行って往復3日で都に帰還した。
他にもある聖徳太子の伝説
- 聖徳太子が南嶽慧思(なんごくえし)の生まれ変わり。
※南嶽慧思=天台宗開祖である天台智顗の師 - 聖徳太子は生まれた直後から聖人の知識を持っていた。
まとめ
聖徳太子に限らず源義経や織田信長など、
歴史上のヒーローって呼ばれる人には必ず伝説があるんだよね。
このヒーローの伝説は、
ヒーローに憧れる人たちの夢や願望が
詰まっているのかもしれないね。
………
……
…
財布の中では聖徳太子よりも、
諭吉さんが好き(〃∇〃)